2024年6月29日土曜日

日本人が北朝鮮に行ったら色々と大変なことが起きた話(引きこもり編)

目次
  1. 導入編
  2. 引きこもり編
  3. 訪問者編
次の日、かどうかはよく分からないが、目が覚めた時には窓の外はまだ暗かった。そのことに気がついた次の瞬間、強烈な腹痛と吐き気に襲われ、気がついた時にはベッドを飛び出し一目散にトイレに走った。程なくして私は嘔吐した。救急車の呼び方も分からないな、ガイドさんの電話番号も分からないな、などと考えていたが、出しては水を流し、出しては水を流し、出るものがなくなっても私の胃腸は暴れるのをやめなかった。次第に意識も朦朧としてきて、俺は平壌で死ぬんだな、と頭によぎった。


その後は何とか一命を取り留め朝まで一眠りしたものの当然ながら快復しきってはおらず、同行者に事情を告げて朝食会場にも向かわず部屋で寝込んでいた。しばらくすると部屋の電話が鳴った。ガイドさんからの内線だった。
「えー〇〇さんどうしてー…(体調が悪くなってしまったのか)」忘れもしない第一声だ。(ガイドさんの口癖である。)
思い返せば理由はいくらでも見つかった。前日の夕食だったアヒルの焼肉。日本の焼肉とは異なり鉄板の上でタレ漬けの肉を焼くものだから、この上ないほど鉄板にひっつく。その鉄板についたタレはみるみるうちに焦げ付いていく。そのため店員さんが頻繁に見回っており数分おきに鉄板を交換してくれるのだが、あまりにも面倒だ。しまいには肉を鉄板でくるくると転がすだけで中まで火が通ったか確認せずにバクバク食べていた。鳥の肉を山分けで食べるなんて、日本ですら危険極まりない行為だ。
それだけではない。その後のカラオケでは、曲を歌い終わるたびにガイドさんが「はーいチュッペー(祝杯の意味)」とビールをどんどん注いでくる。いや、彼女が悪いわけではない。普段はそこまで酒が強くないからセーブをしているのだが、カラオケで興奮しきってしまい、ついつい勧められるがまま大同江ビールをガブ飲みしてしまっていた。おそらく1人で大瓶をまるっと2~3本くらいは飲んでしまったのではないだろうか。強い人なら気にするほどでもないのかも知れないが、私からしたら大変なことである。


何はともあれベッドから起き上がることすらできないので観光などできるわけがない。その日は平壌から70キロほどの港町「南浦」(ナンポ、またはナムポ)を訪れて名物「ハマグリのガソリン焼き」を体験する予定だったが、致し方ない。南浦には同行者たちだけで行ってもらい私は引き続きホテルで休養していた。しばらく寝ている間に別の日本語ガイドとホテルのスタッフが昼食にお粥を持ってきてくれた。その頃には起き上がって食事を受け取り、少しずつ口にする程度の体力には体力が回復していた。
午後には同行者たちが南浦から平壌に戻り、朝に電話で話したガイドさんも部屋まで様子を見に来てくれた。両手にはやや白濁した液体で満たされたペットボトルがあった。
「これは飲む点滴です。朝鮮の人たちは体調を崩すとみんな作ります。水に溶かしているのは砂糖と塩と…クスリ…です、日本語の言い方は分からないですが怪しいものではありません。」と説明になっていない説明を受けて手渡された。苦笑いするしかなかったが、疑心を生じるような気力も体力もなかったので受け取って素直に飲んだ。すると今度は錠剤を手渡された。朝鮮製の医薬品かと思って恐怖を覚えるどころか逆に少し興奮したが、少し遅れてガイドさんが口を開いた。「これはタイの風邪薬です。」少し残念だったが今になって思えば貴重な海外の医薬品を分けてくれたということだ。非常に申し訳ない気持ちになる。


民間療法のおかげではなくタイの風邪薬のおかげだろうが体調はみるみるうちに快復していった。午後は平壌駅近くの「鉄道省革命事績館」という日本でいう鉄道博物館のような施設に訪れる予定になっていた。これは是が非でも行きたいところだったので、訪問することにした。


ところが現実はそう甘くはなかった。喜び勇んで訪問したものの車いすなどのような設備があるわけでもなく、そもそも入口からいきなり階段で、内部の見学は案内員の説明を聴きながら歩いて参観する。いくら民間療法で体力がいくらか快復したとはいえ立って話を聞いているうちにやはり気持ちが悪くなってしまい、結局エントランスに展示されていた最初の展示物のみ見学し、車に戻って再び眠ることにした。その後は結局ホテルに戻り食事も摂らず朝まで眠った。


翌朝目が覚めるとタイの風邪薬のおかげで昨日の体調不良が嘘のようにすっかり元気になり、朝食会場へ向かった。最後の朝食は普段通りに摂ることができた。


朝食を済ませたら早速帰路につく。帰りは高麗ホテルから平壌駅まで歩いて向かい、列車出発まで少し時間があったので駅前でバスの撮影などをさせてもらった。


帰りの列車での中で例の別団体と再会し、その中の一人が購入に成功した「平壌ビール」を飲ませていただいた。食事の際に出されるビールは基本的に「大同江ビール」のため、平壌ビールはなかなかレア体験である。が、当然冷えていない状態のためお世辞にも美味しいとは言えない味だった。そして列車は新義州を経て無事に丹東に着き、おのおの空路で帰国の途に就いた。

(訪問者編に続く)

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